タイ生活

タクシンという男、、

 

一体どんな人?
何故タイを追放されたの?

 

誰がなんと言おうと、

タイの現代史において重要な人物で、彼の出現以前と以後とでタイという国のあり方を大きく変えてしまった人であると言えます。
彼は2001年から2006年にクーデターが起きて国外追放となるまでの5年間を首相として過ごしました。
 

彼の政権時代のタイ

を覚えています。
立ち退き勧告に応じないバービア街に深夜突如、重機が押し寄せて一夜にして全てをぶっ壊してさら地にしたり、とにかく毎日やれバンコク麻薬一掃作戦やら南部の反政府独立運動のテロやらときな臭い話題ばかりで、タイという国自体が今よりもずっと胡散臭い時代だった。
ま、でも実は僕らにとってはそんなことはどうでもよくて、もっぱらの関心は政府による風俗店の取締り強化やナイトクラブの深夜営業禁止政策だったのだけど。
とにかく日毎に厳しくなる取締りでバンコクがどんどん退屈な街になっていく気がしてしょうがなかった。
当時まだ比較的若かった僕らはおもちゃを取り上げられた子供のようにタクシンをくさして「バンコクを住みにくくするクソ野郎」ぐらいに思っていたけど、現在のより健全化されつつあるバンコクをみればそれは単に遅いか早いかだけだったんだなぁと感じる。
それはタイという国が途上国から中進国に発展していくにあたって通る道を通っただけのことで、彼がやらなければ多分他の誰かがやったんだろう。

また彼はタイという国全体を大きく赤と黄色に二分させて

争わせた原因をつくったんだと非難されることもあるけど、それもどうかなぁと思う。
結局、赤黄闘争の根は富の独占・貧富の差の拡大であるのは明らかだし、彼が共産主義者であろうが、王室排除主義者であろうが(実際のとこは知らんが、、)そんなことは二次的なファクターに過ぎないのです。
いくら地方ばら撒きと言われようとも、タクシン政権下で貧富の差は縮小傾向となったのは事実であり、タイのジニ係数もその時期多少なりとも減少したわけです。ま、問題はそのばら撒きのやり方が上手くなく、各方面で不公平感が半端じゃなく拡大していき、その結果タクシンへの不満が増大されていったことでしょう。

いまだにタイでは絶大な人気を誇る彼ですが、祖国に戻ることはもうないでしょう。
彼が戻ればまた国を二分して大揉めに揉めることは火を見るよりも明らかだしね。

まとめ

彼が本当に地方の農民や低賃金労働者たちのことを考えていたのか、それとも単なる選挙の為の人気取りだったのかはわからないが、選挙を通じて国を動かす力が存在することを広く国民に知らしめ、また実際に実行させたことは、既得権益者や資本家にとっては大変な脅威として映ったことは想像に難くない。
ま、禁断の箱をあけてしまった故、彼は国外追放の身とならざるを得なかったわけですが、、。

ABOUT ME
でこ
バンコク在住15年。